■1970年代初期にヒットした洋楽のEP(〜の続き)

恋のフィーリング / 星空の天使
カプリコーン
前に「ハロー・リバプール」で紹介しましたカプリコーンです。当初3人でしたが、メンバー・チェンジを行い4人組に。そしてカプリコーンの名前も忘れかけていた時、ヤマハ主催の第3回世界歌謡祭にイギリス代表として参加し見事にグランプリを獲得しました。スー・アボリーの透明感のある爽やかな歌声は健在でした。本国のイギリスでは、残念ながらほとんど売れなかったようです。
発売:1972年/[ECPA-52]

マミー・ブルー / アイブ・ガット・イット・オール
リッキー・シェイン
アメリカ、デトロイト生まれのリッキー・シェインはレバノン人の母とフランス人の父を持つエキゾチックな風貌の美男子。当初ナッシュビルのロック・バンドで歌っていましたが、ドイツに渡り成功を収めティーンのアイドルとなりました。当時「マミー・ブルー」はたくさんのアーティストの競作盤がありました。ところで、「マミー・ブルー」ってどういう意味?
[MPS-1012]

美しき人生 / アップル・スクラッフス
ジョージ・ハリスン
ビートルズの解散後、ソロ歌手として出した「マイ・スウィート・ロード」が大ヒット。同曲が代表作となりますが、続いてヒットしたのが「美しき人生」でした。ビートルズ時代はポール・マッカートニーとジョン・レノンという両天才アーティストの輝きに隠れて陽の当たることの少ない存在でしたが、当時はそのうっぷんを晴らすかのような勢いでした
[AR-2748]

うつろな愛 / フォンド・オブ・ロビン
カーリー・サイモン
個性的なイントロで始まり、力強い歌唱が心に残る「うつろな愛」はカーリー・サイモンの最も売れた曲だと思いますが、この曲以外は知りませんでした。彼女はシンガー・ソング・ライターとしては珍しく裕福な家庭に生まれ育ったそうです。同業?のアーティスト、ジェームス・テイラーと結婚しましたが、その後離婚。当時、誰かがポール・サイモンの妹だと言っていて、しばらくの間それを信じていたように思います。もちろん悪い冗談でした。
発売:1973年2月5日/[JET-2159]

喜びの世界 / アイ・キャン・ヒア・ユー・コーリング
スリー・ドッグ・ナイト
以前、ドラマの主題歌で使われ再注目されました。スリー・ドッグ・ナイトはボーカル3人を含む7人編成のグループ。ボーカルが3人というのも変わってますね。前ページで「オールド・ファッションド・ラヴ・ソング」を紹介しましたが、グループとしての活動期間はそう長くなかった割に、彼らには多くのシングルヒットがあります。
発売:1971年/[HR-2775]

愛するハーモニー/ブーム・タウン
ザ・ニュー・シーカーズ
ニュー・シーカーズは男女5人で構成されるイギリスのグループ。
「恋する…」は、コカ・コーラのCMソングとしてレコーディングされた曲で、シンプルで馴染みやすいメロディーとタイトル通りのハーモニーが素敵で爽やかな印象の曲です。
発売:1971年/[SFL-1405]

夢に消えるジュリア/サマー'68
ピンク・フロイド
現在でもなお根強い人気を誇るプログレッシブ・ロックの雄、ピンク・フロイド。当時、それまで耳にしたことのない前衛的で摩訶不思議な音楽にちょっとしたカルチャーショックでした。「夢に消える…」はシンセサイザーを使ったとても幻想的な曲です。LPで聴いていたので実はこのEPは持っていませんでした。
発売:1971年/[OR-2840]

ママに捧げる詩/歌が書けたら
ニール・リード
スコットランド生まれの11才だった少年の歌声に唖然。切々と歌い上げるその歌唱力には驚かされましたが、その後の彼はどうなったのでしょう。この曲以降は名前が聞かれませんでした。
発売:1972年2月/[TOP-1691]

タイム・イン・ア・ボトル/ヘイ・トゥモロウ
ジム・クロウチ
1973年にコンサート地へ向かう際の飛行機事故により30歳という若さでこの世を去ったジム・クロウチ。当時は彼の存在を知りませんでした。初めてこの曲を耳にした時、物悲しくそして美しいその旋律が強く印象に残りました。アコースティックの伴奏の中、哀愁に満ちた歌声に胸が熱くなります。
この曲は彼が亡くなった後に1stアルバムからシングルカットされ、全米No.1に輝くことになりました。
発売:1973年/[SFL-1837]